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関与原理(英: relatedness principle)とは、おかゆの発案による、意味役割の標示に関する原理である。

関与原理は、関与という意味役割を提示する。これはいわば、あらゆる具体的な意味役割を包括するメタ意味役割のようなものである。すなわち、ある言明における各事態参与者には、具体的な意味役割が付与される以前に、まず発話されたという情報が与えられることになる。このことが各事態参与者に、事態への関与という意味役割を与えるのである。このように関与原理は、発話行為と深く関係する考え方であると言える。

このような考えは一見、同語反復的で無意味であるかのように思われるが、意味フレーム同化作用と異化作用において必要不可欠な原理である。例えば「食べる」「私」「りんご」という単語の羅列を見てみると、「私がりんごを食べる」という事態が即座に頭に浮かんでくる。これは「私」と「りんご」とがともに「食べる」行為に関する参与者であり(関与原理)、かつその行為は「私」にはできて「りんご」にはできないとわかっている(既存の意味フレームへの同化)からであろう。とは言っても、このような解釈過程が特筆性の要請を満たすことができないのも事実である。言い換えれば、もし手違いで「りんごが私を食べる」ような事態に陥ったとしても、同化のみによってそれを解釈させること(従って、表明すること)はできない。このような場合に既存の意味フレームからの異化が起こるが、ここにおいても関与原理が役に立つ。なぜなら、異化された解釈は最終的には同化へと回収されることが期待されるからである。

詳細編集

関与原理は「意味割(節の表す事態における各項の役割(e.g. 動作主、被動者、道具))を標示することも根本的には任意なものである」という内容を含む。

ロジバン時制といった種々の(他言語では強制されるような)文法要素の任意性を、場所構造(place structure)にまで展開させようとしたのが発端とされる。

最も理解しやすい形では、関与原理とは、そのにおける項のが不定であるといえる。しかしながら実際は、格が不定というよりは、すべての項により汎用な単一の格(意味役割)が付されているとみるべきで、関与原理において、項はすべてその事態において「関与」という役割にある

おかゆは、「私が「関与原理」を使うときの多くで原理っぽさが無いので、「関与原理」というワードは実際の使用状況と即しておらず、単に「原理」という字面の格好良さを援用しているだけ」と言っている。その上で、「実際の使用からは少し逸脱するが、真面目に「原理」であるように解釈するなら次のようになるだろう:節に現れている一連の項は、その節の表す事態において、その項が言語形式としてそこに存在しているという点それのみによって既に「関与」という意味役割が与えられる。」と述べている。すなわち、狭義の関与原理として、「項が言語形式としてそこに存在しているという点それのみによって、「事態への関与」という意味役割が与えられること」と定義することができる。

おかゆはしばしばクレリカを引き合いに出して、文脈を軽視しない言語であるならば、おおよそ関与原理に従うだけでコミニュケーションは可能であると時々述べている。

「関与原理」の実際の使用編集

「関与原理」という語が実際にどのような意味で使われているのかはいまいちおかゆ本人にもわかっていないようである。プロトタイプな意味範囲は上述の通り。

デネブさんはクレリカの文法に関して、「ある発話に現れたそれぞれの思形詞は、その文脈において発話されたという事実によって、その事態に何らかのかたちで関与していることが示されており、このことを関与原理といいます」と述べ、その文法の単純さを補う意味論的基盤として関与原理を据えている参照。また、「発話されている(言語形式としてそこに存在している)というだけでとんでもない明示と言える」とも述べる参照

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